「蝕み」


「うまいし！あまいし！おいしいし！」
お中元として買った、贈答用の水羊羹の詰め合わせからリポップしたのは、
甘いものの化身みたいなたぬきだった。
とりあえずこれは送れないのでと水羊羹を食わせてやると、たぬきは大層喜んだ。

男は、たぬきという生き物が大好きだった。
たぬきが大好きな甘いものを食べまくって喜ぶ姿が見たい人間だった。
たぬきもまた、ションボリとは程遠い生活を送らせてくれる優しい飼い主をすぐ好きになったが、スプーンを止めて尋ねる。
「ごしゅじんは食べないのし？一緒に食べた方がおいしいし！」
「俺はいいよ…」
「ダイエットかし？そんなに太って見えないし…？」
「糖尿になっちゃったから…」
「とうにょう…？」
「甘いものの食べ過ぎで、おしっこが甘くなっちゃうんだよ」
厳密にはまた違うのだが、わかりやすさを重視して伝える。

「それすごいし…！飲ませて欲しいし…！」
趣旨変わっちゃうだろ。バカか。
前のめりになるたぬきに、さわるな…と制して飲み物を持ってくる。
まだまだ暑いから、ソーダがいいだろう。

水分といえば水しか飲んだことの無いたぬきにとって、炭酸ジュースはいたくお気に召したようだった。
「このしゅわしゅわ感がたまらないし…！
もう飲み物はぜんぶこれでお願いしますし！」


たぬきは何かを食べさせるたびに、ありがとうございますし！おいしいし！
と表情をキラキラさせてはしゃいでくれる。
なら次にこれはどうだ、と思いついた物を出してやりたくなる。
おじさんが若者に食べさせたい欲と似たようなものなのだろうか。
ずっと甘いものを与えているのも飽きるだろうと思い、ポテトチップスを与えてやる。
「これ何し…甘くないし…？」
「ポテチって言うんだよ。芋を薄く切って揚げて、塩を振ってあるんだ」
「ふーんし…」
飼い主が与えてくれた物は例外なく気に入るたぬきだったので、何の疑いもなく口に運ぶと。　
「ぱりぱりし…！これ好きだし…！ぱりぱりし…！」
油を吸った頬がテカテカと輝きを増し、両手をバタバタさせて歓喜の声を上げた。
「そんなに気に入ったのか。また買っておくよ」
「ごしゅじんいいし…？たぬきだけ美味しいのはなんか悪いですし…」
「いいんだよ。お前が美味しそうに食べるのを眺めるのが好きなんだよ」
「そう言ってくれると嬉しいですし…ありがとし…ぱりぱりし…♪」
出されたものは残さずきちんと平らげ、事あるごとに“甘くないからポテチ一緒に食べましょうし”と誘ってきたり、感謝してくれているのが伝わるため単純に可愛い。
食べさせ甲斐のあるやつだ。糖尿病は甘いもの以外も難しいって事は、いい加減覚えて欲しいけど。
たぬきはどうせ、病気とかとは無縁なんだろうな。




食べて寝て、遊んで、また食べて。
幸せな日々は、何ヶ月も続いた。
しかしそれは、永遠ではなかった。
ある日、謎の痛みが、たぬきの口内をほとばしった。
「………い゛っ！？」
「どうした？」
飼い主は気がついていない様子でたぬきの声に反応しながらも、冷蔵庫から何かを取り出した。
「な…何でもっなぃじぃ…」
たぬきは平静を装いながら、涙目で答えた。
おかしいし。何でこんなに痛いんだし。
そんなに嬉し泣きするほど喜んでくれているのかと、飼い主はソフトクリームを置いてやった。
「そうだし…痛みがある時は冷やすといいらしいし…」
とブツブツ呟きながら、ソフトクリームを口内に運ぶ。
「〜〜〜〜〜〜ッ！」
歯に沁みたようで、声にならない叫びを上げてたぬきは悶絶ジタバタを行った。
飼い主はそこまで美味しいのかと、羨ましくなった。
今度、たぬきと一緒に少しぐらいなら食べてもいいよなと思いを馳せていた。


明らかに異常だと、たぬきはわかっていた。
それでも飼い主の厚意を無下には出来ないのと、単純に甘いものを食べるのをやめられず、たぬきは今まで通りの生活を続けた。


次第に、下膨れ気味だった顔が見事に腫れ上がっていた。
たぬきは両手で頬をモチモチさせながら、
「いててし…いてててし…」
と、涙目で過ごす時間が多くなっていった。


たぬきは痛みを避けるため噛む力を弱めているので、ぽろぽろと食べ物を零すようになった。　
だがその日、たぬきの口元から落ちてきたのは食べ物ではなかった。
「おいおい、また零してるぞ。一体どうしたんだ」
「いえ…何でもないですし…え…何これし…？」
「ほんとだ…何これ」
たぬきが拾い上げて確認するが、よくわからないので飼い主に見せる。
「なんか取れたし…これ何だし？」
「歯に詰まってたビスケットか何かかな？」
たぬきが拾ったものを手渡され、飼い主が目を見開く。
「違うわ…これ歯だ…」
「えっ…し…」
たぬきの歯のかけらだった。
「やだしやだし…何でし…！？」
驚きのあまり、たぬきが両手を振り回してジタバタし始める。
そして再びぽろっと、何かが飛び出して転がり落ちた。
固い、黄ばんだそれは今度はかけらではなく、歯そのものだった。
何か、腐ったようなひどい悪臭を放っていた。


「あー、これは虫歯ですね。見事に全部やられてます。何でこんなになるまで放っておいたの？」
「え…そんなにひどいんですかし…」
飼い主に歯科へと連れてこられ、たぬきも一緒に説明を受けていた。
「歯自体がめちゃくちゃ脆くなってますね」
「でもでも、気をつけてご飯食べればだいじょぶですし？」
青ざめているたぬきに、歯科医が真剣な目つきを崩さずに告げる。
マスクで顔の半分以上が覆われているので、たぬきからすればとても怖かった。
「抜歯しないと脳に菌が入って死んじゃうよ。全部やられてるから」
「ばっし…」
「全部ですか」
「全部ですね」
「ぜんぶし…？」
「仕方がないです。命には代えられませんから。たぬきは保険適用外ですが、よろしいですか？」
歯科医はもう決まっている路線を、進むかどうかの確認のみといった様子で話を進める。
だが、専門家に命の危険を説明されれば納得する他なかった。
「ここまでの事になってしまったのは私の責任なので…よろしくお願いします」
良かれと思って、甘いものを食べさせたのはともかく、その後のケアが足りなかった。
そもそも自分だって、どれぐらい歯科に来ていなかったかも答えられない。


「痛くは無くなったけど…なんか変な感じだし…」
麻酔を受けて、一時的に痛みから解放された虫歯たぬきは治療用チェアーユニットに仰向けで寝かされていた。
治療器具を車輪付きテーブルに載せてやってきた歯科医が、無影灯でたぬきの口内を確認し、治療を開始する。
「痛かったら手をあげてね〜」
たぬきは口を開けたまま、「ふぁいし…」と答えるものの、
気をつけの姿勢のまま、治療が始まっても微動だにしない。
麻酔が効いているとはいえ、あまりに大人しすぎる。
神経全部死んでるって事じゃないのか？
飼い主の男は、治療の様子を不安げに見守っていた。


待合室で絵本を読んでいるたぬきに聞こえないよう、歯科医が現状を説明してくれた。
いずれは話さないとダメだろうが、治療で疲れているたぬきに追い討ちをかけるつもりにはなれなかった。

「正直あそこまでの状態は初めてですね。顎が壊死しかかってますよ。神経もボロボロです。神経の残ったところが激痛として現れただけで実際にはほぼ全滅ですね」

そこまで、と声に出しかけたのを呑み込んで、飼い主の男は頷いた。
「これから数回にかけて全て抜いていく事になります。
今後はもう固いものは食べさせられませんから、固形たぬフードではなく赤ちゃんの離乳食みたいなものを与えるようにしてください」
「え、もう固いものはダメなんですか」
「噛み砕く歯がなくなっちゃいましたからね…どうしてもというならば、入れ歯作りますか？」
金額を聞いてみて、飼い主は返す言葉を失った。突発的に支払える額ではない。
「いえ、そこまでは…」
「甘いものも、極力控えさせた方がいいと思いますよ。口の外は専門外ですが、糖尿なども危ないでしょう」
「はい…ありがとうございました」
なんだかこっちがションボリしそうな説明を聞いて、たぬきの元へ行くのは気が重かった。



「おはなし終わりましたし？」
たぬきと言えば、先ほどまでの痛みは忘れたかのように、待合室のソファで足をぶらぶらさせていた。
見ていた絵本を畳んで、ぴょんと降りる。
モチっとした手を差し出してきた、たぬきと手を繋ぐ。
「帰ろう。お腹空いたろ」
「んっし…」
ションボリ、トボトボ…1人と1匹は帰路についた。


そして、数回にかけて歯科に通い、全ての抜歯が終わった。
当たり前だが、たぬきの生活は激変した。
飼い主である俺に異変を相談せず、甘いものにまみれた生活を手放さなかった結果はーーー。


「好きなモノが食べられなくなっちゃったしぃぃ！」ｼﾞﾀﾊﾞﾀ
くたくたになるまで煮込んだうどんや、お粥だけの生活になってしまった。
健康的にはなったが俺も楽しくないし、たぬきも楽しくなかっただろう。
ションボリしたままの表情を変えてやりたくて、あれやこれや提案してみたものの、
歯を失ったトラウマから、あれだけ気に入っていた炭酸ジュースを何度勧めても、口にすることはなかった。
甘いものといえば、プリンやゼリーぐらいなら食べられるが、やはり甘いもの中心の生活が原因だったというのはわかるらしく、
「結構ですし…たぬきはうどん食べますし…それはしまってくださいし…」
涙声で明らかにこちらに気を遣って喋っているのだろうが、こちらが気を遣い続けるのも想像以上に疲れる。
こっちは、好きなものを美味しそうに頬張る姿が好きだったのであって、たぬきの介護がしたいわけではない。
ふと、残っていたポテトチップスの袋が目についた。
たぬきの為にたくさん買い込んで、結局開けていないやつだ。
もう歯無したぬきは一生食べられない。
となれば、この家で食べられるのは俺だけか。
勿体無いと思い、つい開けてしまった。
俺の精神性がこいつの歯を駄目にしてしまったんだろうなと後悔しながら、バリバリボリバリ。

「あっ…ポテチ…いいなし…」
くたくたのうどんをすくっていたフォークを止めて、たぬきが羨ましそうに呟いた。
我慢できなくなったのか、フォークは器に突っ込み涎を垂らしてこちらを見てくる。
「たぬきにもくださいし…」
「いや、たぬき…もう歯がないからお前はこれ食べられないよ」
もう既にお互い理解していることを、確認するためだけに告げるのはつらかった。
そんなの、お前自身が1番わかっている事だろ。
苛つきが増して、ポテチを噛み砕く顎に力が入る。バリッ。
「あ…そうだったし…それ目に毒だし…しまってくださいし…」
うん、と生返事をしながらも手が止まらない。
久々のお菓子は、禁を破った快感が上乗せされ、いっそう美味に感じられた。
「聞いてないし！？」
歯無したぬきが何事か騒いでいるが、取り合ってやる気にはなれなかった。
お互いに特殊な状況になりすぎて、俺は疲れきっていたのだろう。
今まで甘やかしすぎたのが間違いだったのだ。
良かれと思った事が、たぬきを苦しめ結果的にこちらにまで跳ね返ってきている。
そう思うと、普段なら言わない言葉が、抑え込んでいた反動からかスラスラと出てくるのを止められない。
「でも食べないともったいないし…お前のために我慢するのやだし…」
「やだし…って…たぬきが可愛くないしぃぃぃ！？」
リポップして以来、甘やかされて育ってきた歯無したぬきにとって、初めて飼い主による拒絶だった。

「お前は可愛いけどそれはそれとしてポテチ食べる気持ちは抑えられないんだよね」
想像外のあまりに冷たい言葉に、歯無したぬきはションボリを超えて悲しそうな顔でジタバタするのが止まらなかった。
「やだし…やだっしぃぃぃぃ！」
甲高い悲鳴をあげ、激しく身体を揺り動かしていたと思ったが、
「………うっ！…し！？」
突如として、苦しそうに胸を抑え始める。
ジタバタする余裕もなくなり、そのまま動きを止めてしまった。
たぬきからすれば大事にされていたはずなのに、いきなり蔑ろにされた。
飼い主が自分よりポテチを選んだストレスで
血圧が上がり、
血糖値が上がりまくっている状態で興奮した結果、
心筋梗塞を起こして歯無したぬきは死んでしまった。


動かなくなってしまった歯無したぬきを見下ろし、飼い主の男は徒然と考えた。
まさか、こいつも糖尿病になっていたのだろうか。
「なんかだるいし…」としきりに眠そうにしていたような。
「喉かわいたし…」と水代わりに炭酸ジュースをゴクゴク飲んでいたような。
まさかではない…俺よりひどい症状じゃん！
後で調べてみれば、歯周病から糖尿病を発症していたらしい事がわかった。


なんとも、可哀想なことをしてしまった。
だが同時にもうひとつの想いも生まれていた。
たぬきに甘いものを食べさせて、幸せそうな姿を見るだけで満足していたのに。
男は、“その先”を見たくなってしまっていた。
食べ終えたポテチの袋と、たぬきの遺体を燃えるゴミに出すべく、ふらりと立ち上がった。


ツヅク

